会社の和

 

異なりを認めて一つを自覚する

 

会社が繁栄するには、 社長を中心に社員の力が一つになり個々の力を100%出し切ることが重要です。 そこで、日本では良く知られているところの、聖徳太子の17条の憲法の最初に「和をもって貴し・・・・」と書いてあります。この 「和」 で有ります。

それでは、和とは具体的に言うと何なのかとなってきます。そこで私の師から教えて頂いたことを申し上げます。それは、和とは 「異なりを認めて一つを自覚する」 であると言うことです。そこで 「異なるが故に事なる」 異なるが故に事がなるのです。 全く同じ考え同じ能力ではまた困る訳ですが。しかし、人間は皆何処か違います。 人それぞれに個性があり、長所もあり、短所もあります。 自分と考えが違うからと言って批判しあってばかりではしかたがないのです。

その個性をお互いに認め合い一つの集団を自覚するということです。人は皆良い所もあり悪いところもありお互いさまです。そこで 互いに認め合うことが重要になってくる訳です。 中々難しいことではありますが。 そこに必要になって来るのが中心人格であります。 会社と成れば当然その中心人格は社長になる訳ですが、重要なのは中心人格としての社長は、社員にとって尊敬できる存在かということです。その 社長を尊敬仰慕出来るか如何かです。尊敬できる存在であれば社員は社長を中心に全力を尽くすはずです。

 

それでは社長はと言いますと社員に対して如何接するかと成ってきます。社長は社員に対してやはり報いる存在でなければなりません。それでは如何接するか。私の師は言いました。それは 、「社員をわが子の如く見ることが出来るかどうかだ」 と、中々社員とはいえわが子と同じに見ることは難しいことです。

 

社員に対して公平に、褒めるときには褒め、叱るときにはわが子の如くに叱る。社長だけが楽をしてでは社員は付いて来ません。 社長は社員と一緒に泥を被る。すなわち、社員と共に苦楽を共にすることが、「この社長にならば苦労を厭わない」と最善を尽くすと言うことです。 そう有りたいと常々考えながらいつも社業に励んでおります。